団地の4階からの眺めだった。
朝より少し日が高くなって、洗濯物が風に揺れていた。白いシャツ、くすんだタオル、花柄のシーツ。どれも派手じゃないけど、よく見れば、それぞれに使い込まれた時間の跡がある。
このベランダは誰かの日常で、誰かの生活の延長線にある。
ただ風に揺れているだけなのに、そこには暮らしの温度が残っている。
――人がいなくても、生活の記憶は染みつく。
下を見れば、同じようなベランダがずらりと並んでいた。どこも似たような団地の構造だけど、干されているものは違う。タオルの色、ハンガーの数、布団を干している部屋、何も干されていない部屋。
それぞれの事情、それぞれの静けさ。
子どもが描いたような雲が浮かぶ青空の下、風が吹けば、誰かのシャツがパタパタと鳴った。
それが合図みたいに、遠くで小さな笑い声がしたような気がした。
この部屋にいた人は今もここに住んでいるのか、もうどこかに引っ越したのか。
それでも、この団地の空気には、あの人の暮らしが少しだけ、残っているように思える。
“暮らし”って、不思議だ。
そこに人がいなくても、痕跡があれば、なんとなくわかるものなのかもしれない。
たとえば、よく使い込まれた洗濯バサミ。
ひとつだけ変な位置に止まってるタオル。
うっすらと色褪せたシャツの襟元。
それだけで、もう十分だった。
ここに、誰かが生きていたんだと。
ちゃんと生活をして、何かを洗って、干して、乾かして、また着て。
日々が静かに積み重ねられていたことが伝わってくる。
この光景は、きっと特別じゃない。
けれど、特別だった気もする。
そんなふうに思わせてくれる、風に揺れる午後だった。
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