午後の陽射しが、障子越しに部屋の奥まで差し込んでいた。
その光を受けて、畳の上に置かれたガラスのピッチャーが、静かにきらめいている。
中には薄く色づいた麦茶と、大きめの氷がいくつか。
グラスの表面には細かな水滴が浮かび、その下にうっすらと湿った輪が残されていた。
この家には、誰もいなかった。
でも、ついさっきまで誰かがそこにいたことを、物たちが証明していた。
まだ口をつけていないグラス。結露の多さは、注がれたばかりだと教えてくれる。
障子の隙間から吹き込む風が、麦茶の表面に微かに波紋を作っていた。
このピッチャーは、昭和の台所でよく見かけたものだった。
冷蔵庫に入れるには少し背が高すぎて、棚の上に置かれることが多かった。
中身は麦茶か、薄いカルピスか。冷たければ、なんでもごちそうだった。
誰が飲もうとしたのか、どうして席を外したのか。
そんなことは分からないけれど、
光に照らされたグラスとピッチャーは、まるで時を止める装置のように、
その瞬間を封じ込めていた。
人は、物を通して時間を思い出す。
見慣れた形や質感が、過去の暮らしの手触りを連れてくる。
この部屋の静けさに耳を澄ませると、遠くで扇風機の音が聞こえてきそうだった。
今、この部屋には音も気配もない。
ただ、午後の陽と、冷たい麦茶だけが残っていた。
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