三十分だけのつもりが、目覚めたら1時間半だった話
今日は朝から気合い入れて動く予定だった。
前日にスケジュールを立てて、「午前中にひとつ仕上げる」「午後はタスクを刻んでやる」って決めてた。
だからこそ、朝は早めに起きて、軽くごはん食べて、PCの前に座った。
でも、なんか身体がだるかった。
よくある、頭だけ起きてて身体がついてこないやつ。
集中力がフワフワしてて、目も重たい。
「あー、これ寝不足だわ」と思って、ほんの三十分だけ…のつもりで横になった。
アラームもかけた。
きっちり三十分。優秀なはずのスマホ。
でも目覚めたら、1時間半経ってた。
アラームの音、聞いた気もする。でも覚えてない
完全に“あの”睡眠に入ってた。
浅い眠りじゃなくて、もうガッツリ深いやつ。
アラームの記憶はどこにもないし、止めた形跡もなかった。
布団から出た瞬間、言葉にならない焦りが押し寄せてきた。
「あ、詰んだかも」っていう、あの絶望感。
やろうとしてた作業は、あと30分で出さないと意味がないやつだった。
体内時計、終わってる。
「いや、まあ寝不足だったし…」と自分に言い訳しようとしても、
時計の針は容赦なく進んでいて、猶予はもうない。
睡眠と時間感覚、ほんとに信用ならん
「30分のつもりだった」は、誰のせいにもできない。
横になるときは、だいたいそう思ってる。
でも、30分で戻ってこれた試しなんてほとんどない。
「起きたらスッキリしてるはず」っていう希望的観測と、
「きっと大丈夫でしょ」っていう自分への過信。
この2つがタッグを組んだとき、たいてい予定は崩れる。
こういうとき、生活に余裕がある人は「まぁ仕方ない」で済ませられるのかもしれないけど、
こっちは詰まりかけてる無職。時間を失う=選択肢を減らす、ってことでもある。
結局、今こうしてブログを書いている
あの30分のつもりが、1時間半だった件で、今日のスケジュールはぐちゃぐちゃになった。
でも、そこで「もう何もできない」ってフリーズするより、
「じゃあこのことを書こう」と思った。これも、切り売りの材料にはなるかもしれない。
生活に余裕がないと、無駄にした時間ってほんと重くのしかかる。
でも重さはそのまま、言葉にも変えられる。
そういう意味では、無駄にしたわけじゃないかもしれない。
というわけで、今こうしてギリギリのタイミングでブログを書いている。
たった1時間半寝過ごしただけで、こんなにも焦るような状態ってどうなんだろうと思いつつ、
これが今のリアルです。
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